当面“人材の宝庫”状態は続くが、メリット享受には早めの進出を
安価で上質な労働力を求めて、大手のみならず中小企業も進出を加速させているベトナム。1986年末に市場メカ
ニズムの導入と対外経済開放を柱とする「ドイモイ政策」を導入して以来、市場経済への移行を図ってきた。2003年には「日越通商協定」の締結と「日越共
同イニシアティブ」の合意に至り、日本との経済的な関係も緊密化している。だが、物価上昇に伴って2006年2月に法定最低賃金が大幅に引き上げられ、日
系企業でストが発生するなど、情勢の変化もみられる。そこで今回は、小宮山大陽経営支援専門員に、ベトナムの労働市場の現状と、効果的な人材確保の方法な
どについて聞いた。
都市部では人材不足気味だが全体としては余裕あり
ベトナム投資計画省によると、2005年の日本からの対ベトナム直接投資認可額は408百万ドルで、認可件数は過去最高の97件(ともに新 規投資分)にのぼった(図1参照)。2000年に外国投資法が改正され100%外資による進出が認められるようになったことを背景に、近年は中小企業の進
出が活発化している。現在は1990年代中盤に続く「第二次ベトナムブーム」といわれ、工業団地はほぼ満杯となっている状況だ。
近年の投資ブームにより、ベトナムの雇用情勢には変化がみられるようですが、労働市場の現状はいかがでしょうか。
「儒教の影響もあり、ベトナムでは家族を非常に大切にすることから、自宅から通勤することを好む傾向があります。つまり、出稼
ぎなどで家を離れて働くケースは比較的少なく、地域間の労働力の流動性が低いのです。そのため、日本企業などが開発した工業団地が多く立地するホーチミン
市やその周辺のビンズオン省、ドンナイ省、また北部のハノイやハイフォンでは労働需給がタイトになりつつあります」
「とはいえ、こうした大都市の状況だけをみて『ベトナムでは人材が不足している』と判断するのは早計です。都市部で労働力が逼迫する一方で、農村部
はまだまだ余裕があるのです。現在ベトナムの人口は約8400万人で、毎年約100万人増加しています。人口構成比をみても、およそ30%が15歳以下で す。つまり当面の間、就労人口は増えていくことになり、労働力が極端に不足するという事態になることはないと言えます」
「たとえば、最近注目されているホーチミン市の南のカントー市を中心とするメコンデルタ地帯は、約1000万人の人口を有する農村地帯です。今後、同地帯で開発が進めば、ホーチミンの人手不足は緩和されるのではないでしょうか」
ベトナムでは外資企業の進出が活発な大都市近郊では労働需給がタイトになりつつあるが、農村部では人材が豊富。全体としてはまだ余裕がある状況にある。
社会習慣などを利用して人材定着を図る
農村部に拠点を構えるにあたって、人材の資質面で問題などはありませんか。
「ベトナムは、国際市場経済に本格的に移行してから10年しか経っていませんから、ベトナム人は(市場経済下での)組織内で働
くという経験が少ないと言えます。ですが、日本の大手精密機器メーカーが最近、ハノイとハイフォンの間にある農村地帯にベトナムの第3工場を新設し、近隣
住民を大量に雇用しています」
「よく言われることですが、ベトナム人は忠実・真面目で、勤勉な国民性であり、向上心も高い。さらに、指示されたことを素直にコツコツとやるなど、
日本人に通じる点も多くあります。さらに、識字率が95%など、潜在的な能力が高いですから、直前まで農業に従事していたからといって、工員に向いていな
いということはありません」
ベトナム進出を考えている経営者が懸念していることのひとつとして、ストライキなどの労働争議が挙げられるだろう。2006年初頭には、法定最低
賃金が50%前後(職業訓練後労働者/ベトナムドンベース)引き上げられたことに伴い、それまで皆無であった日系企業でもストライキが発生したことは日本
でも報じられた。
「労働争議などの原因は、雇用者側に問題がある場合が多いのです。たとえば、一部の日系以外の外資企業では、社会保険料などを従業員の給料から天引
きしていながら積み立てていなかった、法定最低賃金ギリギリの水準の給与しか支給していなかった、あるいは従業員に暴力を振るった、といった事例がありま
した。こうなると従業員の不満が溜まり、ストが発生したり、従業員がなかなか定着しなかったりといった事態が発生するのです」
「日系企業で起きたストは、非日系企業で起きたストがムード的に飛び火して起きたもので、過激なものではありませんでした。最低賃金が大幅に上昇
し、それまでの長期勤務者との賃金差がなくなったことが、労働者の不満に繋がったこともあったようです。また、これらが違法ストライキであったことも事実
であり、違法ストライキに対してベトナム政府が毅然たる対応をとらなかったことも、外資企業として不満が残りました。労働者側は労使交渉のやり方が分から
ず、労働組合自身も本来の機能を果たすことができませんでした。これらの問題点を踏まえ、ベトナム政府は、労使交渉の手順の明確化、違法ストライキに対す
る罰則規定などについて、法制度の整備を進めています」
では、労使関係を良好に保ち、ひいては人材の定着に繋げるための方策としてはどのようなことがありますか。
「ベトナム人の慣習をうまくとらえて、従業員の士気を鼓舞していくことです。たとえば、パーティーやピクニックなどの社内行事
を最低でも年に1回は催し、その際には従業員の家族も招待するのです。先ほどお話ししたように、ベトナムでは家族を非常に大切にし、『長幼の序』を重んじ
ます。社内行事に招かれた従業員の両親や祖父母が『お前はいい会社に勤めている、会社を大切にしなさい』などと話してくれれば、効果があるのです」
「一方、日本人は『あなたを信頼している』と伝えたいがために、『あなたは次の幹部候補だ』というようなことを安易に口にしてしまう傾向がありま
す。すると、言われた側の従業員は言葉通りに意を解し、『幹部になれると言っていたのに、まだ自分を引き立ててくれない』などと不満をつのらせることがあ
るのです。ベトナムのみならず、文化・習慣が違う海外では、安易に口約束などをするのは控えたほうが賢明です」
「先程も話しましたように、ベトナム人は中国人ほど『労働の対価即金銭』という考え方は強くなく、ベトナム人なりの価値観がありますので、それらを踏まえて如何にモチベーションを上げていくかを考えることが必要です」
ストなどの労働争議の原因は、経営者側にある場合が多い。社内行事には従業員の家族も招待し、会社に対する家族の心証をよくしておくことも有効。
技術者は日本で研修して育成
ベトナムは、中間管理職や技術者の人材が不足しているということが問題点として挙げられる。特に中間管理職は、工場の現場とマネジメントを
結ぶ役割を担うことから、経営戦略上でも重要なポイントとなる。とはいえ中小企業では、現地での人材確保が難しいからといって日本から人材を現地に派遣す
るのは、人繰りおよび資金面で難しい場合も多いだろう(図2参照)。
図2 ハノイ、ホーチミンとアジア主要都市の賃金比較(月額)
(単位:米ドル)
|
ワーカー
|
エンジニア
|
中間管理職
|
法定最低賃金
|
(一般工職)
|
(中堅技術者)
|
(課長クラス)
|
ホーチミン
|
111~185
|
249~373
|
572~1,054
|
54.84※
|
ハノイ
|
80~163
|
201~385
|
451~661
|
54.84※
|
バンコク
|
146
|
316
|
584
|
4.40/日
|
マニラ
|
182
|
279
|
649
|
4.85/日
|
クアラルンプール
|
205
|
790
|
1,643
|
―
|
ジャカルタ
|
131
|
270
|
618
|
82.16
|
上海
|
172~301
|
334~593
|
772~1,521
|
85.5
|
広州
|
101~190
|
374~621
|
497~746
|
84.76
|
深せん
|
100~247
|
186~620
|
496~991
|
特区外:71.88
|
特区内:85.51
|
ソウル
|
1,216~1,741
|
1,744~2,208
|
2,215~2,612
|
2.99/時間
|
23.9/日
|
横浜
|
2,984
|
3,871~4,475
|
4,624
|
5.98/時間
|
出所:JETRO資料より作成(調査実施時期2005年11月) ※=2006年2月改定後金額
不足している中間管理職の人材を確保するのに、有効な手立てはありますか。
「私がインドネシアで事業管理していたときも、現地で中間管理職の人材をなかなか確保できないことがありましたが、その際は、
マレーシア国籍の華僑を雇用しました。彼らは優秀であるうえ、人件費もインドネシア人よりは高いが日本人より低い水準です。とはいえ、ベトナムでは制度上
こうしたことができませんので、現状では現地で適切な人材が確保できなかった場合は、本社から人を派遣するか、ベトナム人をゼロから教育するしかありませ
ん」
「日本から中間管理職を派遣する場合、現地に駐在せずに出張ベースで済ませることは可能ですが、滞在日数には注意が必要です。というのも、所得税に
関しては、ベトナムでの滞在日数が182日以内であれば、ベトナム国内での源泉所得の申告のみで済みますが、182日を超えると日本での所得と合算して申
告する必要が生じるからです」
政府がハイテク産業の育成に力を入れていることもあり、ベトナムではIT産業に注目が集まっています。こうした技術者の確保についてはどのような方法がありますか。
「ベトナムのIT産業は、まだ日が浅く、人材の絶対数が少ないですから、即戦力を期待するのは厳しい状況です。ITに限らず技術者は、日本で
研修をしてOJTで専門知識を習得させるのが最も効率的です。ベトナムでは日本語の学習熱も高いですから、ハノイ工科大学などのレベルの高い大学の学生を
卒業と同時に日本へ送り、1年ほど研修を受けさせて、帰国後に改めて現地工場で雇用するなどの方法も考えられます」
ベトナムでは中間管理層や技術者の人材不足がネックとなる。中間管理層は、日本から人材を派遣するか、ベトナム人を教育していくしかない。技術者については、研修制度などを利用して、日本で研修を受けさせるのが効果的。
現地で人材を確保するには、具体的にどのような手段がありますか。
「ベトナムでは『中小企業のほうが自分の力を発揮できる』という考えを持つ人が多いですから、企業の規模にかかわらず優秀な人
材を確保するチャンスはあると言えます。また、以前は政府機関を通さなければ人材を雇用できませんでしたが、現在ではそれもオープンになっています。具体
的なリクルーティングの方法としては、人材紹介業者に依頼したり、現地の知り合いなどのつてを頼ったり、新聞広告を利用したりするほか、工業団地に進出す
るのであれば、工業団地が持つ独自のルートを利用するなど、さまざまな方法があります」
「また、業種や業態、求める職種など各企業の個別の状況によって人材確保の方法やルートが変わってきます。ここで注意すべきことは、できるだけ多く
のレジュメを自らチェックし、直接面接して比較検討をしたうえで決めることです。人材紹介会社などを利用する場合も、安易に信用して頼りすぎてはいけませ
ん」
人材を確保するルートは、他国とそれほど変わりはない。なるべく自ら関与して、多くの人を面接し、比較検討したうえで決定する。
問題があれば政府が真摯に対応
安価で良質な労働力を強みに、近年「チャイナプラスワン」の筆頭に挙げられるベトナムだが、経済発展に伴いさまざまな変化がみられる。こうしたことから小宮山専門員は、「ベトナムへの進出を検討しているのなら、決断は早くしたほうがよい」とする。
「アセアンでは2010年(ベトナムなど新規加盟4カ国は2015年)までに関税を撤廃することになっています。このため、ベトナムは今後、経済・
産業政策の舵取りをしっかりしていく必要があります。裾野産業の育成は、総花的ではなく、選択と集中が必要になるでしょう。いずれにしても、私はベトナム
へ進出するなら今のうちと考えています。果実を早くとれば、あとは事業を発展させるだけです。何事も立ち上げのタイミングが大切なのです」
ベトナムは中国と比較されることが多いですが、ベトナムの優位性というのはどのあたりにありますか。
「一番大きいのは、“反日”か“親日”か、の違いでしょう。反日感情をベースとした問題が起きやすい中国では、F/S(フィー
ジビリティ・スタディ)の際に経済リスクのほか、社会および政治リスクを加味しなければいけません。このため、社内インフラや中国内でのネットワークが少
ない中小企業が進出するのは難しいと言えます」
「一方でベトナム人は、基本的に日本に対してよい感情を持っており、政治面でもイデオロギー性が少ないことから、進出の際も経済リスクのみに集中し
てF/Sを行えば問題ありません。さらに、ベトナム政府も、投資の実効率が高い日本企業の進出に大きな期待を寄せています。ベトナム国内で経営に影響を及
ぼすような問題が発生した際には、在ベトナムの日本人商工会を通じて民間と政府が話し合う場が設けられるなど、政府としても非常に真摯な姿勢で問題解決に
あたっているのです」
現在ベトナムが有するメリットを最大限に活用するには、時期を逃さないことも肝要。アセアン統合という大きな変化を間近に控え、ベトナム進出を検討している中小企業は、好機を掴んで成功に繋げていただきたい。
国際化支援アドバイザー
経営支援専門員 小宮山 大陽(こみやま だいよう)
大学卒業後、総合商社に勤務。鉄鋼部門で当初は米国市場(主として西部)を担当、在米期間は通算16年半にのぼる。その後は主にアジアを担当し、イ
ンドネシア、タイ、マレーシア、中国で事業の立ち上げ・育成を行ったほか、インド・カルカッタに3年半駐在し、繊維、機械、金属、食料、物産、化学品のビ
ジネスに携わった。その後、在シンガポールの日系電機メーカーに転じ、リストラ策の一環として工場移転を計画、最適候補地としてのベトナムでの企業化調査
に専念。2006年より中小企業基盤整備機構の経営支援専門員として、主に、ベトナム・モンゴル・ロシア担当として、中小企業の相談に応じている。
http://www.smrj.go.jp/keiei/kokurepo/closeup/016007.html |